大菩薩前衛 権現山(1312m)、麻生山(1268m)、北峰(1240m)、大寺山(1226m)、小寺山(1165m) 2010年12月18日

所要時間 8:38 腰掛集落−−8:47 橋で尾名手川右岸に渡る−−10:51 権現山北尾根1070m鞍部−−11:18 権現山 11:31−−12:17 麻生山 12:30−−12:56 北峰−−13:21 大寺山 13:32−−13:48 小寺山−−14:06 大寺山−−15:12 畑−−15:16 腰掛集落

概要
 尾名手川源流部の山を周回。尾名手川右岸は道はないが獣道と植林帯では作業道がある。ただし、途中で急斜面もあって等高線に沿って巻き続けるのは不可能で、川に沿って遡上するより権現山に登ってしまった方が楽だった。権現山北尾根は明瞭な踏跡あり。正式登山道があるのは権現山〜北峰までだが、北峰〜小寺山は明瞭な踏跡があり薮も皆無で快適な稜線歩きを楽しめる。大寺山〜腰掛集落への東尾根も明瞭な踏跡があり刈り払った形跡もある。最後は急斜面を下って畑上部へ出る。

上記地図クリックで等倍地図表示



 なぜか急に偏頭痛になってしまった。これまでの人生で風邪を引いても頭痛になることは滅多になく、あるといえば二日酔いくらいだった。それが常時軽い二日酔いになっているような状態で非常に気分が良くない。脳腫瘍や脳血管障害等の命に関わる病気だったらまずいので産業医の指示で三鷹市内のクリニックでMRI検査を受けたところ、上記のような病気や痴呆症のような病気も見られないとのことで一安心したのはいいが、これで頭痛が治まるわけではない。私の場合、頭痛よりもそれに伴って現れる吐き気が強烈で、これが始まると起き上がるのも不可能になる。どうも寒さがトリガーとなっているようであるが、寒さなら昨年だって-14℃の中を歩いているし、医者いわく、他に要因となるものがあるはずだという。偏頭痛の場合、原因を取り去らないと症状が消えるということはなく、日常生活の中で思い当たることがないか探すしかないとのこと。でも私の生活パターンはここ5年くらい変わっていないんだけどなぁ。なぜか血圧も上がって上が170近く、今まで見たことの無い値だ。

 医者には運動厳禁を言い渡され山もお休みするしかなさそうだったのだが、山に行かないと逆にストレスで血圧が上がりそうだ。あまり負荷が重い運動はまずいかもしれないが、有酸素運動となる程度の適度な運動なら血圧にもいいだろうと勝手に決めて近場に出かけることにした。この時期なので高い場所は雪や凍結の恐れがあり車で入るのが怖い。それに寒さが原因で頭痛が発症するなら寒すぎる場所はやばい。いろいろ考えた結果、上野原で山名事典記載の山を周回することにした。

 尾名手川の右岸尾根及び左岸尾根起点、それに少し外れるが西方及び北方に未踏峰があり、これらを登れば6山稼げる。カシミールで計算したわけではないが累積標高差はたぶん1000m前後、所要時間としても適度だろう。のんびり出発しても暗くなる前に下山できるだろう。起点は尾名手川終点の腰掛け集落で、ここには尾名手川左岸側に破線が描かれている。これを辿って適当な場所で右岸に渡渉、麻生山に登って右回りに周回する予定だ。問題は尾名手川が渡渉できるかどうかで、ダメなら鞍部まで行ってもいいだろう。古い地図だと腰掛集落から尾名手川左岸に破線が通っており、もし今でもこれが生きていれば使えるだろう。ただ、この場合は尾根を登ると権現山に登ってしまい、ここは既登山なのでできれば迂回したいところだ。それが可能かどうかは現地で確認することにした。

集落先の駐車余地 鶴川対岸の人家。裏山斜面を迂回して通過

 珍しく当日発で明るくなってから出発、上野原ICで降りて北西に上がっていく。橋が架かった場所では路面が濡れており凍結寸前だ。そろそろこの辺でもスタッドレスが必要か。途中、県道から左に入る道を辿り、地形図を見ながら目的の集落を目指す。地形図と現地の地形から腰掛集落はすぐに判明、谷は少し深い位置にあるので直接見ることはできず、右岸に渡る橋があるのか分からなかったが左岸に渡る橋は確認できた。よかったぁ。集落の中の駐車余地に止めると迷惑が掛かるかもしれないので僅かに行き過ぎた場所に車を置いて歩き出した。

鶴川を渡る橋 尾名手川を渡る橋
尾名手川の堰堤右岸を越える 堰堤の先は道無し
植林帯の獣道 自然林の獣道
急斜面でトラバースを止め上を目指す 笹が出たところで尾根を登る

 左岸に渡る橋の入口はすぐに分かり、橋を渡ると人家の前に出る道だった。このまま人様の敷地に踏み込むのは気が引けるので道を外れて裏山の斜面を迂回、家を越えて下っていくと尾名手川には巨大な堰堤がかかっており、これを迂回するのは大きく高巻きする必要があった。しかし、よく見ると堰堤下流に対岸に渡る立派な橋があるではないか! これで苦労することなく右岸に渡れる。斜面を下って橋を渡り、斜面を登る階段を見送って川沿いの道を進む。やがて道は消えて踏跡程度となり、やがて獣道らしくなった。これでも道が無いよりはマシだ。植林帯を進んでいくとやがて傾斜がきつくなり等高線に沿って巻くのが厳しくなってきたので上を目指す。急斜面を強引に登ると再び獣道登場で横移動に切り替える。しかしこれもそのうちに笹の生えた急斜面に行き当たり、再び上移動する。この感じでは川に沿って右岸を上がるのはちょっと無理がありそうだ。

小尾根を登る 明瞭な巻道登場、それを辿る
植林から自然林に変わると道が消滅 再び植林帯登場
自然林でまた道が消滅 再び植林帯登場
植林帯をジグザグに登る 植林帯のエッジで道は終了

 そのうちに尾根を巻く明瞭な道が登場、どこまで道があるのか不明だが少しでも横移動距離を稼いで権現山を巻けるようにと巻き道を進む。植林中では非常に明瞭な道でどこまでも続きそうだったのだが、植林が終わったとたんに道も終了、薄い獣道程度になってしまう。それでも傾斜が緩い間は横移動は可能なのでトラバースを続けたが、顕著な尾根を越えて進行方向が南東に変わると傾斜がきつい植林帯なって、これまた横移動が面倒になったので上に針路変更。しかしまたもや巻き道が登場し、今度もたぶん植林地帯が終われば道も終わるだろうと予想はできたが、権現山をスルーできる可能性があるので横移動に。しかし予想は的中で、道は植林と自然林の境界で折り返しながら標高を上げていき、やがて道は消えて急斜面が広がっていた。ここにきて横移動をしても無駄が多いだけで権現山を経由したほうが楽だと判断し、上を目指すことにする。こんなことになるのなら最初から権現山を目指したほうがよっぽど楽だったのになぁ。

間もなく尾根に乗る 尾根に出ると踏跡、目印あり
廃道化しているが明らかな道 もうすぐ権現山

 尾根に出ると後方にピークがある鞍部に到着、先ほどまでの進行方向と合わせて考えれば1070m鞍部と判断した。この先は権現山まで登り一辺倒のはずだ。読図は的中し、この先は余分なピークは無くてグングン高度を上げていく。尾根上に薮は皆無、しかも途中からは廃道化しているが明瞭な道の跡が現れた。目印のテープが散見され、こんな尾根を歩く人が少ないながらいるらしい。下部は人工林でちょっと趣がイマイチだがそれなりに楽しめる場所だ。

権現山山頂とマウンテンバイカー 権現山の山梨百名山標柱
権現山から見た奥多摩、奥秩父の山並み(クリックで拡大)

 左からよってくる主稜線が接近し、傾斜が緩むと不意に権現山山頂に到着。今までずっと樹林の中を歩いてきたがここは南側が開けて日当たりがいい場所だった。ここは1度踏んでいるのだが10年以上前のことで全く記憶が残っていなかった。でも登った当時はまだ山梨100名山の標識は立っていなかっただろう。山頂には登山者の代わりにマウンテンバイク。どこから上がってきたのだろうか。間違いなく歩くより自転車のほうが登りはきつく、ご苦労さんだ。既に出発から3時間近くが経過しており、日向に腰を下ろしてしばし休憩。富士山方向は少し樹木があってすっきりとは見えないが北側の展望は良好で久しぶりに雲取山が見えた。たまにしか見ない山だが、なぜか簡単に同定できた。

 さて、周遊はここからが本番だ。まずは次の麻生山だが高低差は無いが横移動が長く1時間程度かかりそうだ(エアリアマップは持ってきていないのでコースタイムは不明)。登山道があるなだらかな尾根は歩きやすく、西を目指して淡々と下っていく。このような場所では周囲を眺める余裕も出てきて、上を眺めるとあちらこちらに熊棚が。こんな場所でも熊の影が濃いとは。もちろん、今の時期は冬眠している可能性もあるので姿が見られるとは限らないが、今年の秋はあそこに登っていたのだなぁ。かなりたくさん見られたが、普通の登山者は上を見ないので気づくことはまずないだろう。気づいたら私のように鈴を鳴らして歩くだろうし。

浅川峠分岐 明るい尾根道が続く
熊棚が多い 熊棚のある木の爪痕。点なので分かりにくい

 権現山を出発して間もなく、浅川峠の分岐標識が出現。私が持っている地図の表示範囲は狭くて浅川峠がどこにあるのか見えないが、遠い記憶で扇山とつながる尾根の鞍部だったと思いだした。1252m峰を越えるときにもしかしたら麻生山かとも思ったが権現山との距離感覚が地形図と合わず、地形図を見たら中間にこのピークがあり納得。ここで本日初めての登山者とすれ違う。このエリアはもっと人がいると思ったが、この後にあったのは3人だけで、登山者は計5人しか見なかった。熊棚の数より圧倒的に少ないぞ。

ここを登れば麻生山 麻生山近くの熊棚集団
麻生山山頂 麻生山山頂の熊棚

 その後も良好な登山道が続き、熊棚も続き、三角点が出ているピークに到着。地形図には掲載されていないピークだがしっかりと麻生山の山頂標識がかかっていた。それよりももっと注目すべきものが山頂にあった。それは熊棚。まさに山頂に生えている木に熊棚ができているのだ。その位置は地上10m以上なので上を向かないと気付かないし、木の幹には熊が登った爪痕が残っているが木の表面はデコボコだし、爪は幹にしっかり食い込んで滑った跡はないため点としてしか残っていないので非常に目立たない。だから普通の人は気付かないと思う。しかしまあ、こんな人気の多そうな山頂のてっぺんやその周囲に熊棚を作るとはこの辺の熊も大胆だ。山頂でしばし休憩。日差しがあって暖かい。

尾名手峠 途中ピークの一つ
途中ピークから見た富士山 このピークが北峰

 麻生山を出発、次の北峰は30分程度だろうか。緩やかな小鞍部で「尾名手峠」の看板があり、大月の駒宮へ下る道が分岐していた。地形図では麻尾山の東側で分岐しているが実際とは道の付き方が違っていた。また、地形図では北峰までなだらかな尾根が続いているように読み取れるが、実際は露岩っぽい2つの小ピークが間に挟まっていた。それらのピークを越えて鞍部に立つと本格的な登りとなり、樹林帯を登り切ると北峰山頂だった。

まもなく北峰 北峰山頂
北峰から見た麻生山 北峰から見た富士山
北峰から見た丹沢〜大菩薩(クリックで拡大)

 これまで明るい落葉樹林帯を一貫して歩いてきてすっきりとした展望が得られる場所は権現山山頂くらいだったが、北峰は山頂付近は樹木が無くおおよそ西半分、丹沢から大菩薩嶺にかけて大展望が広がっていた。山脈の一番低い部分は笹子峠かと思ったが三ッ峠山の位置関係が異なり、そこは大月市街地だと判明した。低い一帯は大月から富士吉田にかけてだった。既に富士山は真っ白だが、その他の山には雪は見られない。残念ながらここからでは小金沢連嶺が高すぎて南アルプスは見ることができない。麻生山での休憩からさほど時間が経過していないのでここは休憩せずに通過する。

登山道が西に逃げる個所 北上する尾根には明瞭な踏跡あり

 北向きの尾根を下るとすぐに分岐標識が登場し、左に下る明瞭な登山道をさして「鋸尾根」となっていた。地形図を見るとこれは大月市の草木地区に下る道のようで、鋸のようなギザギザした尾根があるのだろうか。こちらが向かうのはこの尾根ではなく北上する尾根で、当然のように道があるのかと思ったら案内標識には北の方向には何もない。地形図をよく見ると破線はこの先は無いのであった。しかし、明瞭な踏跡がこの先も続いているし、そもそもこのエリアでこの標高なら落葉広葉樹林で藪は皆無なので道の有無に関係なく楽しく歩けるだろうけど。

 道が無くなったとは思えないような明瞭な踏跡に明瞭な尾根が続き、案内標識が見当たらなくなっただけで今までと変わった様子は感じられなかった。鞍部に下って尾名手方面に下る踏跡が無いか見てみたが、藪が無い落ち葉に覆われた斜面が広がっているだけでそれらしき筋は分からなかった。尾名手左岸沿いの破線が今でも生きているとすればどこに出るのだろうか。

大寺山山頂 大寺山の達筆標識

 鞍部からひとしきり登ると大寺山山頂に到着。久しぶりに達筆標識が登場、しかし今まで見た中では最小クラスの大きさでかわいらしい。裏側を見ると昨年設置された新しいものだった。ここにあるということはこの先の小寺山にもあるかな。麻生山から約1時間経過したので休憩。日差しが暖かく眠気を誘う。大きめの断熱マットでも持ってくればよかったなぁ。

小寺山への稜線。踏跡あり 鞍部から林道登場

小寺山山頂 小寺山山頂のQZW赤リボン

 小寺山への稜線上にも明瞭な踏跡があり、大寺山には「松姫鉱泉」の標識も出ていた。標高1170mで尾根が分岐し、なんと北側には地形図に記載が無い林道が伸びていた。いったいどこが起点だろうか? 目的の尾根は左に下る尾根でここにも「松姫鉱泉」の標識が。鞍部に下るとここにも林道があり、小寺山に向かって林道が伸びていた。林道は山頂の北側を掠めてさらに伸びており、どこまで行くのだろうか。小寺山山頂には達筆標識があるとばかり思っていたが見当たらず、代わりに「QZW」の署名がある赤いリボンがぶら下がっていた。おお、T沢さんはこんなところにも来ていたのか。なかなか目ざとい。まだ新しそうだったので数カ月以内だろう。

大寺山再び 東に下る尾根にも踏跡あり
1207m峰 1110m肩

 大寺山に戻って東に延びる尾根を下り始めた。この尾根上には小寺山に向かう尾根と同程度の濃さの踏跡が伸びており、それなりに歩く人がいるようだ。藪があるわけではないが邪魔な木は刈り払った形跡があり、山林作業のためなのか登山道維持のためなのかは分からないが手入れされているようだ。1207m峰、1110m肩、1098m峰で尾根が屈曲するので外れないよう注意が必要と思っていたが、実際には明瞭な踏跡が正しい尾根上に続いていたので地図をみるまでもなかった。

この付近から道が出てくる 標高930m付近の祠
明瞭な道は標高850m付近で左に下る 直進方向は踏跡あり

 傾斜が緩む標高950m付近から登山道レベルの濃い道が登場、標高930m付近で道が尾根直上を外れて北を巻く個所で道を外れて尾根上を行ったら小さな祠があった。標高850m付近で顕著な道は左に逸れて北に下っていった。たぶん阿寺沢集落に下る尾根上に道があるのではと思う。東に向かう尾根の道は踏跡程度にグレードダウンしたが、相変わらず藪は皆無で歩きやすい。既に周囲は自然林ではなく南半分は植林になっていた。

720m肩から北東に下る 植林の急斜面を下る

 標高720m地点で地形図の表記通り尾根は左右に分かれた。ここは左に進むがそのまま尾根を直進すると橋のある地点を通り過ぎてしまうため、途中で一つ南の尾根に乗り移る必要がある。しかしこの尾根は明瞭になるまでの標高差100mは急斜面で、この人工林では先が見通せず尾根に着地できるかは大いに不安だ。まあ、進路を右寄りにとっていれば尾根に乗らなくても民家手前の畑上部に出られるだろうから、あまり神経質にならなくてもよかろう。人工樹林が深くて下部の様子は全く見えず、適当なところで尾根を外れて右手の斜面を下り始めた。ずっと植林帯が続くが、よくもまあこんな急斜面に木を植えたなぁと思えるような場所で、ズルっと滑ったらそのまま転げ落ちそうな斜度が続いていて気が抜けない下りだった。ザレた地面をジグザグに下っていく。

畑上部に出た 下ってきた斜面(鶴川の対岸から)

 やっと傾斜が緩むと下部に畑が見えてきた。やはり目的の尾根よりも西側を下ってきたようだ。橋に接近すべく左寄りに進路変更、畑の東端を迂回するように下り、鶴川右岸の人家と橋を結ぶ道に出た。 

 

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